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E-Conceptionの立ち上げ物語が、「癒し系おしゃれ情報誌 Parfait(パフェ) 2001 冬号」に掲載されました!

Parfait編集部さんより許可をいただき、ここに全文掲載させていただくことになりました。ありがとうございます!
10年以上前のことで、古いお話ではありますが、私がなぜオーストラリアにやってきて、E-Conceptionなんか始めたのか、その経緯や想いがとても客観的に分かりやすく表現されています。私自身が書いた「アロマブランド設立物語」なんかより、ずっと読みやすいかもしれません(^^;)。

ちなみに、この取材を受けたときはシドニーに住んでおり、子供たちもまだ小さく、お勤め人だった夫の手助けを借りながら私が一人でえっちらおっちら運営していました。おっぱいあげながら、キーボードを叩いていたりしたものです(^^;)。今では、家族ごとブリスベン郊外に引越し、スタッフの力も借りて、ファミリーみんなで(?)頑張っています。


エンジョイライフ&ジョブ・フロム・シドニー

アロマセラピーのオリジナルブランドを立ち上げた福島さんの場合


その女性は30歳を前に、日本を飛び立った。
やりがいのある仕事を手放し、愛する夫とも別れ、
どこかに預けたままにしたはずの自分の荷物を探すために、
知人もおらず、英会話もままならない自分を省みず、
新しい明日へ向ってまっすぐと目を向け、新天地を目指した。
私たちと彼女の違いは何か。
彼女の求めた「自分」とは何か。
そして彼女の「幸福論」とは何か。
たった一人でアロマセラピーのオリジナルブランド
E-Conceptionを立ち上げた福島麻紀子さんに
可能な限り近づいたその話に耳を傾けてみた。


東京での生活と仕事と彼女の心

「なぜシドニーに来たのか?と考えてみても、そう明確な回答があるわけではないんですね。一言でいうなら『今までと違う価値観に触れてみたかった』『違う環境で生活してみたかった』ということになりますが、もちろんそう単純なものでもないし、そう思うに至った経緯というのはそれなりにあります」

明るく屈託のない笑顔を見せる麻紀子さんは自分の辿った道をゆっくりと思い出すように語り始めた。

「初めてシドニーに来たのは、7年前の4月でした。南半球は秋のはずなのに、もの寂しげな色は見当たらず、かわりに真っ青な青空と海、芝生の鮮明な緑色、さんさんを降り注ぐ明るい太陽が印象的でした」

生まれは東京だが、生後1年で神奈川県の田舎町に引越し、大学入学に至るまで山の中に暮らしていたという。言われてみれば、そんな素朴さが彼女の横顔のどこかに残されているような気がしてくる。

大学入学から就職、転職まではずっと東京暮らし。その間に結婚もした。大学卒業後に就職したのはマーケティングリサーチの会社。時はバブル最盛期。深夜の残業、職場で寝泊りすることも珍しくない。仕事は好きだったが体と心が追いつかず、無意識のうちに登社拒否症になり、電車に乗れなくなった時期もあった。

「就職して知り合った人とすぐに結婚していたので、精神的には支えられていたと思います。二人とも仕事が忙しくすれ違いの多い生活でしたが、それでもあんなにハードな生活をしながら何とかやっていたのは、彼がいたからでしょう。転職を決意したのは入社4年目。”ひとつの商品を最初から最後まで面倒をみる立場に立ってみたくなった”というのが表向きの理由でしたが、本当は、これ以上同じ環境にいたら自分をすり減らすばかりだと直感していたんだと思います」




当時はまだ転職が世間でそれほど認められていない時代。当然、既婚女性の活用など考えていない企業が多い中、スナック食品メーカー、カルビーが「食品の商品マーケティングをやりたい」という希望を受け入れ、採用が決まる。

「カルビーの皆さんにはお世話になりました。個人プレーしか知らなかった私に、いわゆる日本流の”組織の動かし方”を教えてくれたのもこの会社です。商品への情熱をもって臨めば、損得抜きで協力してくれる人たちがたくさんいました」

会社自体が過渡期にあり、個人のアイデアを本人の手で商品化したいという夢を実現できる自由な環境があった。麻紀子さんにとっては理想的な職場であったはず。

「千三つ(千の商品のうちヒット商品になるのは3つだけ)と言われる競争の激しい業界ですから、私が手がけた商品もなかなか日の目を見ませんでした。うまくいかない要因は商品そのものから流通過程における問題までいくらでも思いつきますが、これが何かのマジックできれいに好条件にはまった時に初めてヒット商品になるんです。これは本当にひとつの魔法。商品が”神がかる”のです。どんなに商品自体がよくても、99%の成功要因はクリアしていても、最後の1%の要素であるマジックがかからなければ絶対成功しません」

それを実感したのは、入社3年目で「かっぱえびせん わさび味」を手がけた時だった。
「かっぱえびせん」という強力ブランドをもってすれば、それほど苦労なく及第点はとれる。流通側も消費者側も知名度の高いなじみの商品だけに受け入れやすい。しかしやり方ひとつで”かっぱえびせんブランド”に傷がつくというリスクも背負っていた。当然「わさび味」発売で長寿商品「かっぱえびせん」が相殺されてしまうことを懸念する声は、社内のあちこちから聞こえた。

「でも私にはなぜか、この商品には”マーケティングマジック”がかかるという確信がありました。発売間際まで社内論争は続き、特に味付けはギリギリまでもめ、直前に駄目押しでやった試食調査結果をもとに、本生産の前日に私たちがこだわっていた味付けで1件落着したものです」

この「かっぱえびせん わさび味」は発売後、予想以上の大ヒットを飛ばす。

「それはもう、嬉しかったです。毎日、売上データを眺めるたびに悦に行ったものです。でもなぜか、同時に何ともいえない空しさがありました。ヒットした喜びは、たとえて言うなら宝くじに当たった時のような感じ。自分の努力や思い入れとは関係なく、市場における運が作用しただけ、とも言える。企画当初から、ヒットさせられるマーケターとしての勘はあったのですが、私は商品に対して愛情を感じていたわけではなく、ただ”成功をもたらす商品”として扱っていたのではなかったかって…」

商品開発に携わる以上、売れる商品を目指すのは当然。なぜ彼女は”成功をもたらす商品”に充実感や満足感を覚えなかったのだろうか。




これとは対照的に、3年がかりで育てながら不本意な結果に終わった商品があった。抹茶を使ったスナックで、材料を求めて静岡まで足を運び、茶道を始め、お茶の化学的特性を調べと、とことん抹茶に入れあげた。商品化にこぎつけるために工場に通い詰め工場長と直談判、テスト販売を引きうけてくれそうな営業部に乗り込んでは説得を繰り返す。抹茶の為に日本中飛び回り、”我が子のように愛した商品”だったが、結果的には何度か地域限定発売にはこぎつけたものの、ヒット商品として売り場に残るほどには達しなかった。

「でもこの商品がはじめて店頭に並んだ日のことは忘れられません。広島市内のスーパーでテスト販売を行う初日、私は東京から新幹線に乗って売り場に足を運びました。推奨販売のおばさんが売り場でお客さんに試食を勧めます。他のスナック菓子の袋をカゴに入れた女性が、試食販売のおばさんに声をかけられ試食しました。『おいしい、これ』と言って、カゴに入っていたスナック菓子を棚に戻し、代わりに抹茶づくしを入れてくれたのです。影に隠れて見ていた私は『やっと通じた!』という気持ちで感動しました」
「この時実感したんです。商品とは、作っている人と買って食べてくれる人とのコミュニケーションツールだって。そこにお金という媒介はあるけれど、作る側は、美味しいと皆に喜んでもらえると思うから作り、その価値ありとみなした人が美味しいから手に入れる。ものを作るって、素晴らしいことだなあって」

しかし、この商品には”マーケティング・マジック”はかからなかった。反対に、特に愛情も感じず、買ってくれた人のことも考えなかった”かっぱえびせん わさび味”は爆発的に売れた。この時、彼女を襲った空しさ、脱力感について「うまく説明することは出来ない」と言いながら、「ここではないどこかに行かなくては」という確信が徐々に膨らんでいったのは事実のようだ。




自己奪回計画、そして東京からの脱出

ちょうどカルビーに転職した頃からネット上でよく文章を書くようになる。日々思うことをつれずれに、詩や小説や自叙伝などに挑戦した。
「今思えば、あれが自分を見直すいいツールだったのかも知れません。自分が本当にやりたいことは何か、何が好きでどういうものが嫌いなのか、そう感じる自分とはどういう人間なのか…。そんなことを毎日少しずつ突き詰めていたのだろうと思います。」

自分のやりたいこと、生きがいを突き詰めていくと、現実の生活とのギャップがますます明確になっていく。何か輪郭は見えているがはっきりと何をしたいというのではなかったかもしれない。しかし、自分を押し殺しすり減らしていく仕事を継続する意欲は失われていく。

「いろいろ考えた挙句に、今の環境で自分らしさを阻害していると思われる要素を自分から切り離す方向へ動くようになりました。いわば”自己奪回計画”の実行でした」

「離婚」もそのひとつ。夫のことは好きだったが、結婚という枠組みが自分たちの関係を歪めているように感じた。自分の突飛な行動で同様させ困惑させた両親には申し訳なかったが、夫は深い話し合いの末、同意してくれた。もちろん離婚にまつわる雑多な処理や、周囲からの同情、視線が交錯しながらも彼女は”自己奪回計画”への焦点を外しはしなかった。

そして、今の生活環境への疑問がわきあがってくる。自分らしく生きていられる心地いい場所を求める気持ちが日々強まる。たまたま大学時代から居着いているだけの東京。遊びに夢中だった学生時代とは異なり、東京は彼女にとって、無機質な建物や生気のない顔をした人々が行き交う街でしかなくなっていた。生産性、利益性だけを重視する経済中心の社会とは違う価値基準が働く環境、気持ちよく生活できる街で行ってみたい、もっと自然が身近にある場所、それでいて生活に困らない場所はどこか。

「その時なぜか、日本ではダメだと思いました。どこか自分に適した国がないものかと調べているうちに、オーストラリアの”マルチカルチャリズム”のことを知ったんです。世界中の国々から集まった移民たちが交じり合い、互いに異なる文化背景を大切にしながら新しい国づくりに挑戦している、というところに惹かれました。なにか面白いことがあるに違いない!って」

そこでオーストラリア行きの準備に着手した。本来ならワーキングホリデービザを取得したいところだったが、残念ながら制限年齢を超えていた。「とりあえず偵察を兼ね、英語学校に入学手続きをとり、学生ビザで入国することにしました。もちろんシドニーに知人の一人もいなかったし、滞在先のあても全くなかったけれど、毎日楽しみでわくわくしていました」と語る彼女を見ると目に輝きが感じられた。”向こう見ず”と言えなくもない途方もない決断。何の保証もない未来に期待で胸を膨らませる、当時の麻紀子さんの心境を感じさせる目だ。




未知なる新天地での再出発

「海外旅行の経験から、言葉が通じないことにはある程度慣れていました。自分で航空券だけとって宿泊先はその場で見て歩いて決めるような気ままな旅ばかりしていたので。英語も通じないような田舎で、来るのか来ないのかわからないバスを座り込んでずっと待ったり、電車で乗り合わせたおばさんと分からないながらもコミュニケートしたりすることで、度胸だけはついていました。言葉が分からなくても伝えようとする気持ちがあればどうにかなるという自信がありました。身振り手振りでもかなり伝わるものだし(笑)」

しかし生活となれば、住居の賃貸契約や電話での交渉ごとなど英語は必須。「早く英語出来るようになりたい!とは毎日思っていましたけど、それで打ちのめされることはあまりなかった」と言いながらも、彼女の必死な猛勉強がしのばれる気がした。そしてそれを支えていたのは、あの”自己奪回計画”の実行への思いだったに違いない。

シドニーでの生活も英語が分かるようになるにつれ楽しくなってくる。そこで彼女が求めたのは永住権申請だった。帰国から半年後、神戸の震災ボランティア先で、無事永住権がおりたことを知る。すでに31歳になっていた彼女は8月、再びオーストラリアへ旅立つ。永住権はとったとはいえ、事実上の振り出し。また家探しや就職活動を再開する。

「就職活動はかなり苦労しました。何とか就職し、その会社に勤めている間にAPLaCという情報提供のホームページを立ち上げたことが、ひとつの転機になったのかもしれません。会社自体は半年で辞め、中高生の留学について調査しながら『素顔のオーストラリア留学』を書き上げました。もちろんいつまでも無職ではお金も底をつくので再就職しましたが、日本で働いていた頃の充実感や遣り甲斐は見つけられず、価値観の相違には随分悩みました。そもそも英語力が伴っていないのに複雑な仕事を行っていることに無理があるのではないかって。オーストラリアの給料は日本で働いていた頃の半額程度で、生活もかつかつ。でも悩み続けるよりは…と退職したときに手元に残っていたのは約1000ドル(6万円程度)でした。不思議だったのは、この預金がその後増えもしなかったけど、減りもしなかったこと。気づかないうちにその程度にはAPLaCやアロマ通販で収入を得るようになっていたんですね」




アロマセラピーとの出会いと通信販売

「私は美容や健康にもあまり関心がなく、化粧品にもファッションにもこだわりません。ブラジャーの紐がハミ出していたり、ストッキングがデンセンしている女性が平気な顔して闊歩しているシドニーは、私にとってはホッとできる my homeのような街。そんなズボラな私でも、ハマってしまうほどアロマセラピーは面白かったですね」

麻紀子さんがアロマセラピーに興味をもったのは「猫のノミ対策」がきっかけだという。隣人のサムに「ユーカリオイルをつけるとノミが逃げていく」という話を聞き、初めてエッセンシャルオイルの存在を知った彼女は、同じ頃よもや日本でアロマセラピーがブームになっているとは知るはずもなかった。

「それから私のアロマ探検が始まりました。まずはユーカリオイルが売っているというスーパーの医薬品コーナーをチェック。よく見ると、ユーカリオイルの隣にはティートリーオイルという珍しい名前のオイルも売ってました。取扱説明には外傷に効くとのこと。さっそく試してみました。どちらもかなりキツイ香りですが、効果を発揮してくれました」

ナチュラルセラピーショップや、ヘルシーフードショックが目につくと、すかさずチェック。次第にエッセンシャルオイルは薬局などで扱っていることもあるし、いろんなメーカーから出てくることがわかってきた。

同時に書店でアロマセラピーの入門書を購入し辞書を片手に読破。「こういう時だけは英語も苦にならないんですね(笑)」

エッセンシャルオイルには沢山の種類があり、それぞれ異なる香り、異なる働きがあることを学んだ。
「実はこのころホームページの読者の方から、いつも鼻炎用にユーカリオイルを使っているが日本では高くてかないません、というメールをもらいました。そんなに価格差があるなら!ということで、さっそくエッセンシャルオイルの通信販売に挑戦してみることにしました」

マーケターの勘か、それともアロマの魅力か、彼女は自分が信じた未知へ進むときに不必要な躊躇をしない性格らしい。資金はどうするのか? 需要はあるのか? 自分にできるのか? そんな不安に覆い尽くされて自分の目標を見失ってしまう人は少なくない。保証がなければ動かない人だって多い。特に慎重な日本人の気質ではそれが普通ですらある。しかし彼女は考えるよりも先に、行動を開始した。

「あの頃の私の立場では、とにかく自分に出来ることなら何だってやってみるしかなかったんです。異国に移住してきたばかりで、何をして生きていったらいいのか見当もつかず、毎日が手探り状態でしたから。観光サポートにしろ、留学サポートにしろ、アロマ通販にしろ、趣味かたがた自分に出来そうなことから手をつけていっただけ。それで生活出来るようになったらラッキー!くらいの気持ちです」

通販開始にあたって、ユーカリオイルだけではなく、多種多様のエッセンシャルオイルを安く入手できるよう、仕入れルートの確立を目指した。ショップで見かけたエッセンシャルオイルは一通り購入し、瓶のラベルに書いてある会社から商品リストを取り寄せようと逐一電話をし、さらに電話帳をチェックしてアロマオイルを扱っていそうな会社にもアタックした。

「最初はまともに相手にされなくて、苛立つこともありました。商品リストや見積りを依頼しても、返事が返ってこない。当時は私がちゃんとした会社じゃなくて、英語もままならない個人だから見くびられているんじゃないかと思っていましたが、実はオーストラリア人のおおらかさ所以なんですね。ほんと、商売っけがないというか、働く気がないというか(笑)」

麻紀子さんが最初に扱ったオイルは100%ピュアオイルではなく、廉価なフレグラントオイルだった。毎週末に開催されるフリーマーケットに出店しているメーカーに前もって注文しておいて、その場でキャッシュで仕入れることにした。

「当時は私自身がアロマ初心者でしたから、私たち一般庶民がアロマセラピーを気軽に楽しむのに、なにも高価な100%ピュアオイルである必要はないんじゃないかと思いました。当時はアロマセラピーの奥深さや可能性についても、まだよく理解していなかったんですね」




とりあえず、APLaCのアロマ通販はスタートしたものの、これが本格的なビジネスになるとは考えていなかった。お友達からのちょっとした頼まれ事に応えるような気持ち。当時のホームページには「青森のおばあちゃんがリンゴを送るように」などと表現している。

「注文は頻繁ではありませんでしたが、この期間、身体を張った人体実験は日夜繰り広げられていました(笑)。アロマセラピー関連本も数冊は読破し、そこに載っているレシピもいろいろ試してみました。たしかに効くものと、効いたんだか効かないんだか分からないものがあります。でもいろいろ実験していると、やぱりピュアオイルに手を出してみたくなるものです。それで薬局やナチュラルショップのピュアオイルも少しずつ買い揃えるようになりました。毎日実験するのが楽しくて、生理痛だろうが頭痛だろうが、アロマセラピーの実験対象になるものなら大歓迎!というほど、我ながら自分のハマリぶりには呆れるばかりですが、それでもいろいろレシピや使用法を工夫して、何らかの効果があらわれた時は本当に嬉しいですもんね」

本を読んで自己流でトライ&エラーを繰り返すうちに、一度はプロの知識も仕入れておこうと思い、講座を受講することにした。100%ピュアオイルを使用するには、やはり専門の知識が必要であり、また100%ピュアオイルの需要があった時に対応できなければ販売はかなわない。

「この講座で、先生が『良質のエッセンシャルオイルをプロと学生のために安価で提供してくれるサプライヤー』をいくつか教えてくれました。先生の話では、オーストラリアに入ってくるエッセンシャルオイルのほとんどが1つの大手商社がロットで持ち込んだものを各社が自分ブランドのラベルを貼った瓶に詰め替えるのだそうです。が、先生ご推薦の各社は自社なりの仕入れルートで世界中から集められた質のよいものを扱っているということでした」

早速紹介してもらったサプライヤーに電話して、商品&価格リストを取り寄せ検討した結果、商品のバラエティも豊富で値段も比較的安いサプライヤーを選び、自分用のオイルを発注した。

「送られたきたオイルを使ってみると、今まで使っているピュアオイルよりもさらに濃厚で薬クサイ感じ。強力すぎてかえって怖いくらいです。確かにアロマセラピーの知識がないと使いこなせないだろうなあと思いました」

いよいよ100%ピュアオイルの販売が可能となると、やはり慎重にならざるを得なかったようだ。今までの商品はビギナー向けにはうってつけではあるものの、ユーザーもいずれはピュアオイルが欲しくなるだろう。だからといって、こんなに強力なものを素人に簡単に販売してよいものだろうかと。そこで今までの商品と平行し「プロ&経験者用」としてピュアオイルを紹介することにする。

「その後やはりフレグラントオイルでは物足りなくなってきたのと、内容物についての情報が不充分な点で疑問を感じるようになり、ピュアオイルに一本化しました。その分、初心者向けに基本的な使い方や注意点などをしっかりホームページに盛りこむようにしました」




最初はズブの素人だった麻紀子さんは、資料本を翻訳しながら読み、講座を受講し、自分で使い、当初の「アロマオイルの通信販売」のグレードを少しずつ高めていった。「自分がいいと思ったものを少しずつ提供していた」の言葉どおり、麻紀子さんのホームページには説得力のある経験的なアロマの解説や、人体実験と題したアロマの使用感などがわかりやすく掲載されている。当然彼女自身の興味が深まるにつれ、扱う品種が増えていき、同時に発注も徐々に増加する。ユーザーのリクエストも多くなり、気がつくと総勢300種類近い商品を扱うようになっていたというから驚きだ。

「自分自身の興味関心とお客さんに後押しされるかたちで、相当勉強させていただきました。本や資料はもとより、卸で企画される講習会、カンファレンス等で開催されるワークショップなどにも積極的に参加しました。また未熟な私を応援してくださったお客さんたちには感謝するばかりです。私にとってお客さんは、商品を買ってくれるだけではなく、お互いに学びあい成長していける間柄でありたいと常に思っています。だから、お客さんといっても情報交換を重ねるうちに”アロマ仲間”になっちゃう。知識経験の豊富なプロの方に協力していただいたことも沢山あります。もちろん、卸の方々に教えていただいたことも数知れません」

この行動力と彼女の人柄が次なる大きな転機を呼び寄せることになる。




E-Conceptionデビューへの長い道のり

「そんな折、卸の方から『マキコ、あなた自分のブランドを作ってみない?』とご提案をいただきました。正直言ってビックリしました。もちろん複数の卸から納得のいくものを厳選して、独自のブランドを作れたらどんなにいいだろうと思ってはいましたが、そんな話は夢とか絵空事の領域でした。でも、私でもサプライヤーになることが出来る、と勇気づけてくれたんです。さらに、オーストラリアあるいは国際的な法律上、注意しなければならないことを教えてくださる方々、『卸については仲立ちになって信頼できる会社を紹介してくれる』とまで言ってくださる方もいて、私の絵空事はどんどん現実化し始めました。」

ところがオリジナルブランドを立ち上げるといった大きな構想は、そんなに簡単に実現できるものではない。実際、考えれば考えるほど、現実に動き出すほどに、解決しなければならない問題が山積みであることに気づいたと当時を振り返る。

「まず紹介してもらったサプライヤーからサンプルを取り寄せ、比較検討しなければなりません。当時私は妊娠4ヶ月。つわりはもう去っていますから香りをかいでも気持ち悪くなることはないけれど、嗅覚的にふだんと同じなのかどうかも気になりました。そこで、日本にいるプロの方に協力をあおぎ、サンプル比較検討作業を一緒にやってもらうために、双子が入った大きなお腹を抱えて日本出張です」
「サンプル依頼する前段階として商品&価格リストを入手しなければならないのですが、来週には出張というのにまたもやこれが届かない。日本と違って、オーストラリアのビジネスでは「納期」という概念に対して非常におおらかなんです。ともあれ、幸い日本出張中には依頼しておいたサンプルをギリギリ入手でき、商品検討ミーティングは無事済みました。全部で200種類くらいの精油を比較しました」

比較検討の際に最もこだわった点はどこか、マーケターとしての麻紀子さんの基準をきいてみた。
「私は自分が使ってみて、これは納得!と感じたものしか扱いたくありません。特にオリジナルブレンドとして発売するとなれば、私自身が皆さんに自身をもってお薦めできる商品しか出したくなかったんです。品質、使用感、価格もそうですが、商品情報についてもきちんと仕入れたいし納得したい。そこで信頼できるサプライヤーとはどういうことかという点がクローズアップされます」
「この業界は仲介業者が入っているケースがほとんどですから、仲介業者の数が少なくて、製造者からダイレクトにモノを買っている卸ほど商品の情報を正確に把握している、ということが言えそうだと気づきました。プロ仕様の精油を扱うメーカーでは、買いつけ担当者が世界中を飛び回り、あちこちで知り合った精油製造業者と懇意になった上で買い付けしていますので、その意味では信頼性が高いはず。ちなみに私が精油を買い付けている卸では、ガスクロマトグラフィー分析器も持っていますから、ロットごとの成分品質管理も行っています。ただ、彼らのポリシーとしてはガスクロ分析にはあまり頼りたくないみたいですね。参考にはするけど、科学では計れない品質、香り、エネルギーというものが大事だと考えているようです」

エネルギーという言葉に興味を持ったが、彼女はさらに続けた。

「もうひとつ非常に重要だと思うのですが、サプライヤー自身が同時にユーザーでもあること。資料片手に『この商品に含まれる成分は…』という説明はできても、実際に使ったことがない人の説明は聞いても空回りするばかりです。自分自身が使って惚れこんだ商品を売っている人の場合、『私の使用感では…』『個人的には…』ということを口にします。信頼度の差は歴然です」

扱う商品が決まると、価格の設定をしなければならない。この場合の麻紀子さんの基準は「お客さんにとって使いやすい容量・手頃な価格」に揃え、お客さんが興味のあるものを予算内で気軽に選べるよう配慮することであったため、卸値は重要なキーポイントになる。

「バルクで仕入れることで手間は増えても原価は多少落ちるものと見て、容量に応じた価格設定にする。つまり容量が半分なら価格も半額。一般的には容量を減らしたら割高になるものですが、それをなんとか最小限で抑えたかったんです」

ところが、またしても依頼した見積もりが出てくるのに2ヶ月待たされる。毎週の催促にも言い訳が返ってくるばかり。「ここから絶対仕入れたい」と思えばこそ辛抱強く待った。もちろん日がな待ちつづけるような彼女ではない。「他人の仕事が遅いと文句を言うまえに、自分がやれることをすべてやってしまいなさい」と自分自身に言い聞かせ、できることから先回りして仕事を進め、見積りが出てくる頃には、もうほとんどの仕事は終えていた。

「見積りは、まあまあ納得できるものでした。品質のよさで勝負しているメーカーだけに、かなり強気の卸値設定でしたが、これなら容量を減らしても実質値上げしないでいけるぞという目処はたちました」




商品と容器が揃ったら、ラベル作り。自分ですべてを行うために、考えるべきことやるべきことは何一つ見落とすわけにはいかない。印刷業者への依頼も考えたが、商品扱い数が200種類以上あって、それぞれに必要な枚数は多くても50枚程度。コストに無駄が多すぎる。自分でパソコンを使ってデザインしプリンターで印刷するしかない。

「実際に手がけてみて、ラベル作りの作業の膨大さにふと気づくわけです。200種類以上の商品ラベルをいちいちデザインして、商品名に始まり、ラテン語の植物学名や、含まれる材料や、さらにはロットナンバー、使用期限まで、いちいちマニュアルで入力していたのでは大変。こういう時、理系の夫を持っていると便利です(笑)。私のニーズを聞くや、データベース・アプリケーションを開発してくれました。データベース上に各商品の情報を入力しておくと、自動的にラベル・デザイン枠に選択した商品の必要事項が入力されるというシステム。これは便利! 私が使っているのが日本語アプリケーションだったので、だいぶてこずったみたいですけど、1週間くらいで完成させてくれました」

次はラベルのカット A4シート1枚から10〜30枚ほどのラベルが出来あがるので、これをサイズに応じてカッティングしていかなければならない。最初はカッティングマシーンを使えばいいと安易に考えていたが、ラベル印刷用紙の表面が滑って、機械では固定できず思うように切れない。

「こういう難題が待ちうけていると、何とかして解決してやる!と勝手に盛りあがるのが理系エンジニアの習性です(笑)。夫はハードウェアの店に通い、いろいろなガラクタを買い集めてきては、ヘンテコな装置を作りいろいろ試してくれました。最終的にセメントを塗るときに使う、取っ手のついた平たい金属板に、ゴムを貼りつけたもので印刷要因を固定し、まな板の上でカッタナイフで切るという、なんとも原始的な方法が一番効率よく正確に切れることが分かりました。しかしこの何百枚というシートを1枚1枚、カッターナイフで切るのも、とんでもない作業です。夫は土日はもちろん、平日帰宅してからも、約1週間かけて黙々とシートを切り続けました。産業革命前の家内制手工業の時代に舞い戻ったような1週間でした」




そして梱包。出産を契機に梱包はラース氏の仕事になったが、それまでは麻紀子さん自身が梱包していた。どうしても破損事故が起きやすいのがキャリアオイル瓶。この問題を解決するためにシュリンク包装の導入を考えた。しかしこれに必要な材料、機械がどこで、どのようにして、いくらで入手できるのか、皆目検討がつかない。あちこちに問い合わせた末、ようやくシュリンク包装素材を扱っている小さな個人企業を探し当てた。

「そこはシドニー郊外にある小さな工業地帯の一角にある建物の、そのまた一角を間借りしたような小さなオフィス兼工場。私が持参したオイルの瓶類を並べて見せると、早速合いそうなサイズ、厚みのシートを1巻持ってきて、シュリンク実験。なかなかプロっぽい仕上りで、しかもほんの一瞬で出来てしまう。中身は全然動かないので、瓶同士がぶつかりあうことによる衝撃は完璧に避けられます。ちょっと懸念していた熱の影響も、ドライヤーみたいなもので一瞬風を吹き掛けるだけなので、これならオイルの品質が劣化することはないとわかり、さっそくシュリンク包装用具一式を購入。夫が中古のテーブルを改造して、梱包用テーブルを作り上げてくれました。

最後まで残った問題は「漏れ」。キャップはしっかり締めても郵送中に多少漏れることがある。これは飛行機内の気圧変化と温度変化によってもたらされる現象のようだ。気圧と温度が下がることによって、中身のオイル体積が膨張してしまう。その膨張に押されて蓋が次第にゆるみ、多少のオイルが漏れる、と考えられる。これを防止するために、彼女は決してオイルを多めに入れすぎない。5〜10%程度は膨張するものと考え、瓶内にスペースを残す。

「本来は箱1本1本収納した方がいいのでしょうが、その分のコストを売値に上乗せしたくはないですし。どんな容器・梱包にしたらより品質を保持できて、より破損や漏れを防げるのか、今もって研究中です」

商品の保存については、庭の奥に昔ガレージだったと想われる倉庫があり、そこを改造、整理して棚などを設置してみると、立派な「アロマ倉庫」に変身してくれた。

もちろんラース氏の働きなくしては語れないだろうが。ラース氏は在庫管理についても、見積り、受注、顧客管理、在庫管理を一環したシステムで統合できるデータベースを作成してくれた。




ところで前に耳にした優良な卸の業者が気にかける「エネルギー」とは一体、どういうことなのだろうか。

「私自身も一番大切にしたいのは、そこです。エネルギー、つまり、波動、気、オーラといった、目に見えないパワーみたいなもの。科学的な根拠はありませんが、精油にはある種の生命エネルギーがあるらしく、扱う人や環境によって香りや波動が変化することに気づきました。それも精油だけじゃなく、すべての商品に言えることなんです。もちろん、精油は植物の血、命ですから、そういったエネルギーに感応しやすいということはありますが」
「それでいろんな実験をして、いろいろ考えました。私は自分ブランドを作るからには、単にメーカーからの横流しではなく、私なりのいいエネルギーが入ってものにしたいと考えたんです。たとえ、いいエネルギーの商品を仕入れたとしても、私の手元にあるうちにそのエネルギーが変わってしまったらまったく意味がない。また同じメーカーの商品でも仕入れたときによってエネルギーが違っていることもあるでしょうから、私のところから出荷されるときには、いつも一定レベルのエネルギーを保持していなるようにしないといけません」

エネルギーの実態、そしてレベル管理など、可能なのか。果して顧客はそれを認識できるのか、という質問に対してはニコッと微笑む。

「このエネルギー品質管理は単なる品質管理とは違って、冷暗所に保存すればいいとか、酸化防止に窒素充填すればいいみたいな物理的対策では説明できません。こうすればOK、という正解があるわけでもないです。どこまでやっても、その価値を認めてくれるお客さんがいない限り、自己満足にすぎません。こんなことをいうと、変だと思う人もいるでしょう。それでも結果は違います。香りも効果も全く変わります。お客さんは感じ取っていますよ」

ではどうしたらいいエネルギーが注ぎ込めるのか。最初は自然の力に頼ろうとしたり、音楽波動、ピラミッドパワーなども考えたという。思考錯誤の末、次第に技術や手法ではなく、一番大事なのは彼女自身の「想い」だと気づいた。

「いつも前向きにハッピーに生きていること。潜在意識のなかにポジティブなエネルギーだけを注ぎ込むようにする。落ちこんだりヤケクソになったり嫉妬したり、忙しさのあまり作業だけに没頭するようでは、絶対にダメ。応援してくださるお客さんに心から感謝する、商品たちが旅立つときに『役に立ってきてね』と声をかける。少なくとも、商品を作っているときはネガティブな気持ちにはならない、人の悪口なんか絶対に言わない。商品発送用の宛名を手書きする時も、1枚1枚『どうもありがとう、無事に届きますように』と念じています。笑われるかもしれませんけど。そのせいかどうか海外からの郵送でありながら、紛失事故は滅多にないんです」

まるで”神がかり”ではないか。あのカルビーのマーケター時代に商品に感じた”マーケティング・マジック”に近い、99%と後1%の大きな違い。売れる、売れないではない、目に見えないパワーを与えるといった難業を彼女は自分自身の「想い」で実現させようとしているのだろうか。

「私みたいな凡人にどこまで、そんな神様のマジックみたいなことが出来るのだろうか?という疑問は当然あります。ブランド設立時に一番悩んだのは、そこでした。世の中には、そういったエネルギーを自在にコントロールする技術や能力をもった人がいますが、私にはそういう天性は備わっていません。最初はそんなこと無理だと思いました。でも出来ると信じることから始まるんです。私はただの凡人ですが、それでも努力次第で出来る。エネルギーを直接的にコントロールできることとは、また別です。自分がポジティブエネルギーの塊となって輝くように生きること。またそれが商品たちのエネルギーに影響することも、実感として分かるようになってきました。

でも人間ですからネガティブになってしまう時だってありますし、言うほど簡単なことではないんですが。たぶん、エネルギーを直接的にコントロールする能力がある人でも、継続的な努力が必要なんだろうと思います。逆にいえば、そういう能力、天性がないといって嘆く必要もないんですね。ただただ、努力することです」

時々ユーザーから「E-Conceptionの精油は波動がいい」「マイルドな香りなのにパワーを感じる」などと評価が寄せられる。「ハッキリ言って、容器はダサイし、ラベルは手作りで美しいとは言いがたいのですが、中身だけは自信をもって提供したいんです。E-Conceptionは中身の質に対して対価をいただく”質実剛健ブランド””すっぴんブランド”を目指したいんですね」という彼女の笑顔はすでに何かをつかんだ自信すら感じられる。




ファミリーとE-Conceptionの展望

今回のオリジナルブランド立ち上げに関してなくてはならない存在であった、ご主人のラース氏や双子のリサちゃん、カレンちゃんとの微笑ましい家族の光景を眺めながら、麻紀子さんの家族への思いを聞いてみた。

「ラースと結婚して子供が生まれるってことが、ずっと前から決まっていた運命という感じがします。出産後は子育てという一大事業を共有している戦友でもあるし、またE-Conceptionのビジネスパートナー的な要素も幅を利かせるようになってきました。文字通り、人生のすべてを共有している人。地球の裏側からやってきた人なのに、なぜこんなに考え方や価値観や、今この瞬間に考えていることまで同じなのか、不思議なくらいです。彼の西洋流ブラックジョークだけはいまだに理解できませんが(笑)」

「妊娠中もそうですが、子供って存在するだけでハッピーなエネルギーを発散してくれますよね。笑顔を見るだけで心が和むという、あのパワーはすごい。E-Conceptionブランドへも子供たちがいい影響をたくさん与えてくれていると思います」




最後にE-Conceptionのこれからについて、麻紀子さんの展望を聴いてみた。

「企業としてどんどん大きくしようとは考えていません。私が目指す境地は、この規模でなければ実現できないんじゃないかと考えるからです。常に量より質を目指したいです。そうなると、お引き受けできる注文量が自然と限られてきます。いい商品ならばお客さんを制限せず、できるだけたくさんの人に使っていただくべきではないか。ところが提供量を増やしていけば、品質維持・向上はより難しくなる。ここがジレンマですね。解決策としては、お客さんの需要に応じて少しずつ成長していこう、ということです。急速な成長ではなく需要に見合うスピードでならば、質を維持しながらの企業規模の拡大も、やり方次第で可能かもしれないと。お客さんに感謝して、いい商品にハッピー・エネルギーをつけてお届けする。やってきたのは、その地道な努力だけです。そして、この方向性はどんな形であれ、ずっと継続していきたいです」

麻紀子さんのこれまでの道のりに魔法などどこにもなかった。それどころか強力なコネクションも、特殊な才能も、優遇されるような条件も何ひとつない。ものを作り人と人との間で取り交わされるコミュニケーションの喜び、自分が求める充実感を実現すべく、彼女はこれからも自然に自分らしく、ただ信じたことをやり通す。恐れすぎない。そして目標を見据えて努力していくのだろう。

誰にでもできそうな単純で明快な彼女の生き方から生まれたE-Conception立ち上げの物語。あなたは彼女の話しから何を受け取っただろうか…。


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