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E-Conception.org「アロマの部屋」:福島麻紀子のエッセイ/双子育児日記「ダブル・トラブル」
ベビーシッターさんの
オーストラリア・ワーホリ体験記
◆その2◆



宿を求めて、ベビーシッター


それで、ウチに来たんだ。たしか、おねえさんがインターネットでAPLaCのホームページを見ていて、ベビーシッター募集のことを、シドニーにいる千夏さんに教えてくれたんだったよね。私にとっても、おねえさん様様なのですが(^^;)。
そうなんです。もうとにかくお金は全部使い果たしていたし、緊急に宿を見つけなきゃならなくて、しかもツアーの終盤にかかった集団感染症が治ってなくて、肉体的にも精神的にもボロボロで。姉に泣きついて、また助け船出してもらったんです。
そういや、ウチに面接に来た日のこと覚えてるよ。「雨露しのげて、食パン以外のものが食べられればいいんです」って、マジに言ってたもんね。もう目が真剣で(^^;)。
とにかく宿が見つかって、食いっぱぐれがないってことで、一安心でした。正直いって、ベビーシッターなんてやりたくなかったですよ(^^;)。
あはは、そりゃそうだろうなあ。オーストラリアくんだりまで来て、アカンボの世話する毎日なんて。しかも「住み込みのお手伝いさん」なんていうと悲壮なイメージだし。実際、まわりの人にも、そんなふうに言われたりしたでしょ?
しましたね。最初は親にも反対されました。「お手伝いさんなんかやるくらいなら、すぐに帰ってこい!」って。でも、私がここに来てから電話する度に声が明るくなっているのが分かって、親も安心したみたいです。なんせオーストラリアに来て以来、波乱ばっかで、いつも泣きそうな声して電話してましたから。ようやく「オーストラリア生活をエンジョイしている」という状況になったので、家族も「よかったね」ってことで。


やっと「生活してる」って感じがしたんです


そんなにここ、よかったの? 言いにくいかもしれないけど、忌憚のないご意見を伺いたいんだけど。
ええ、最初はほら「とりあえず1ヶ月」っていうことになっていたでしょ? それなのに、私のために、たった1ヶ月のためだけに、机作ってくれたり、電話入れてくれたりして。そういうことがあるたびに親に嬉しそうに報告していたんですよね。
それはもう、当時は誰かのヘルプなしでは双子の世話なんてやっていけない状態だったから。こちらも長くいて欲しかったから、出来るだけ居心地がいい環境にしようという気持ちはあったよね。
あと、ここに来てから、ようやく「オーストラリアで生活してる」っていう実感が持てたんです。それまでは、いつも仮住まいというか、実際に寝袋で寝る生活ばっかりだったし、なんか落着かなくて。
たとえば、ベビーちゃんたち連れてお散歩すると、近所の人たちが声かけてくれるでしょ? お店へ行っても対面販売で「これ、ちょうだい」って注文するとか、そういうことってそれまでなかったんですよね。ようやく自分の居場所が見つかったという感じ。「外出しても自分を待っていてくれる人がいる」「帰る場所がある」ということに安心感を覚えたんだと思います。
たしかに住み込みベビーシッターって、めちゃくちゃ生活感だけはあるもんね。これで「海外生活をする」という目的達成、みたいな感じがあったんだろうね。
それに、麻紀子さんとラースが、私のことを「お手伝いさん」「ベビーシッターさん」としてじゃなくて、まるで家族の一員みたいに接してくれたのが嬉しかったんですよ。たとえば、麻紀子さんのお友達がお花持ってきてくれた時とか「千夏さん、見て見て、こんなきれいなお花もらっちゃった~」って、そのお友達の前で私に報告してくれたりね。紹介する時も「ベビーシッターさんです」じゃなくて、「千夏さんです」って言ってくれて。そういう小さいことが、すごくうれしかったの覚えてます。なんていうか、お手伝いさんだからっていう線を引いてないって感じで。
じゃあ、「とりあえず1ヶ月」ではじめたけど、もう最初からもっと長くいたいって思ってくれていたわけ?
そうです。「どっちから辞めるにしても2週間前告知」という約束だったから、2週間たった頃に「出ていってくれって言われるかなあ」って様子伺ってました。そしたら、麻紀子さんから「もしよかったら、もっと居てくれる?」って言ってくれて。ホっとしたんですよ。
仕事面では不満はなかったの?
なかったですね。だけど、麻紀子さんから見て私の仕事ぶりはどう映っているのかなって気になっていました。実は、もっとクレームがつくと思っていたんですよ。「こんなふうにされちゃ困る」とか「ここはこうしないとダメ」とかね。言わないでガマンしてるのかなあ?とか。
ああ、私、言いたいことはみんな言ったよ。「料理の味付け、もっと薄くして」とかさ。言いたいことガマンしてても長続きしないと思ったし。それに、私、人にいい仕事をしてもらうコツは「まるっぽ任せる」ことだと思っているから、細かいことは気にしないの。実際、千夏さんのほうがよっぽど細かくてキチっとしているから、私なんかよりずっといい仕事してくれるんだよね。
そうそう、それで私もついつい「おかあさん」みたいな気分になっちゃって(^^;)。「ああ、またもう、ここ開けっ放しなんだから」みたいな。
「は~い、おかあさん、すみませ~ん」みたいな(^^;)。そういう千夏さんの几帳面さが、ズボラな私にはちょうどありがたかったってのはあるよね。
でも私もここにいるうちに神経質な性格が、ちょっとマイルドになったような気がするな。昔だったら、テーブルにちょっと水滴がこぼれていると「ああ!」とか思って速攻で拭かなきゃ気が済まない人だったんだけど、今じゃ「ま、いっか~」って。
オージー化したのかもね。私の影響かな。


英語は頑張りました


仕事面ではOKとして、他に不満はなかったの? 他人と一緒に生活するストレスとか。
う~ん、最初の頃は、夜が辛かったですね。昼間は麻紀子さんと2人だからいいんだけど、夕方になってラースが帰ってくると英語タイムがはじまるでしょう? 3人で食卓囲んでいても、2人が話していることが分からなくて。何について話しているかぐらいは分かっても、全然会話に入っていけなかったから。聞けば麻紀子さんは翻訳してくれるけど、いちいち邪魔するのも悪いと思うから、ついつい無口になって。でも「いつかきっと、食卓で一緒に会話できるようになってやる!」って思いましたね。
そんでも、食卓で会話できるようになるまで、大した時間かかってないよね。2~3ヶ月後には一人前にラースとジョーク言い合ってたんじゃない? キャンプツアーで1ヶ月もまれたこともあるのだろうけど、千夏さんは推測力がすごくいいんだよね。だから、単語を多少知らなくてもノリで会話しちゃう強引さがあるの。それに、やる気も満々だったよね。いちいち「これ、なんて言うんですか?」って質問してくるし、貸した本も一生懸命読んでるし。
そう、必死でしたね。ただ、いちいち麻紀子さんに聞くのが悪いような気もしてたんですけど、麻紀子さんって全然嫌がらないで教えてくれるでしょう? それが意外でした。それまでに会った英語できる日本人はみんな「あたしだって苦労したんだから、あんたも苦労しなさい」って感じで、まともに教えてくれませんでしたよ。
そうかなあ? 誰だって人が伸びていくのを見るのは楽しいと思うんだけど。私なんかで役に立てるなら、いくらでも教えてあげたいって思うんだけどな。それに質問されると、意外と自分もよく分かっていないことに気付いたりして、自分の勉強にもなるし。私は全然苦になってないよ。でも、とにかく千夏さん、すごい英語力伸びたよね。ここに来た頃とは比べ物にならないくらい。
そうですか? でも、語学学校に行かせてもらえたのも、ラッキーでした。入ったクラスはレベルが高すぎて、付いていくのがやっとだったけど、友達も沢山できて、先生もいい人で、とっても楽しかった。ベビーシッターの仕事と掛け持ちで、週に2回とはいえ、とてもハードな日々だったけど、「学校だけは何があっても休まない!」って決めて頑張りました。10週間のコースが終わった時は、残念でしたけど。
ああ、あの頃は持病の腰痛もひどかったし、キツそうだったよね。それでも「家の仕事は手を抜かない」って、頑張ってくれて。そもそも、「今までとてもよくやってくれたし、子供の世話も楽になってきたから」ってことで、私のほうから千夏さんの語学学校行きを提案したわけだけど、「もしかして余計なお節介だったかな」って気になってたんですよ。
いや、そんなこと、ないない。ほんとに嬉しかったですよ。まさか語学学校まで行けるとは思っていなかったから。


周囲の「かわいそう」攻撃はストレスでした


ただ、あの頃はまた別の意味でしんどくなっていたんですよ。学校の友達だけじゃなく、麻紀子さんのお友達とも知り合いになったりして、少し世界が広がって、そしたら周りの人に「ベビーシッターやってる」っていうと、「まあ、かわいそう」的な対応されちゃったり。「もっと外に出たほうがいいよ」とか「お金もらってないなんてヘンなの」とか「そんなことやるためにオーストラリアに来たの?」とか、いろいろ言われるんですよ。でも、結局は「私はこれで満足なの!」って思えたから、続いたんですけど。
他人が何と言おうが私は私!って思えたんだ。そこらへんは昔から頑固なの?
そう。けっこう頑固者ですね。だから、まあ大したことじゃなかったんですけど、ただ、ちょっと周囲のそういう価値観がうっとーしかったんですよね。
それと、語学学校が終わってからが、また辛かったかな。語学学校時代は外に出る機会が多かったのに、また学校終わったら家にいることが多くなっちゃったから。人に接する機会が減ったことが、ストレスに繋がったんだと思う。
うん、ウチとしても次の学期も英語学校に行かせてあげたかったのだけど、ちょうど英語学校が再開する2月に帰国する予定だったから。プール通いしたりして、気分転換をはかるくらいしか、やることがなかったのは辛かっただろうね。
また、語学学校行きだして、交通費やら交際費やらがかかるようになって、お金がどんどん減ってきて、「こりゃ少し稼がないと」と思ってたんですよ。ちょうどその頃、仕事あるよって声かけてくれる人もいたんだけど、タイミングが合わなかったり、アコモ探しが面倒だったりして、結局そのまま居着いちゃったんですけど。

でも、そういう時にちょうどいいタイミングで、麻紀子さんのおとうさんやお友達が滞在していってくれたのが、刺激になってよかったですね。最初、おとうさんとなんてどう接したらいいのかって戸惑っていたんだけど、なにげに気を使ってくださって、本当におとうさんの滞在中楽しかったんですよ。もうおとうさんが帰国する日なんて涙出てきちゃったくらい哀しくて。千里さんが滞在してくれた時も、すごく楽しかったし。
それに、実は、真夏のクリスマスと年越しを楽しみにしていたんですよ。
なるほどね、でもなんでまた2月の帰国予定をビザ期限ギリギリの4月に延長したの?
これは正直言うと、「会いたい人」がいまして(^^;)。ほとんど片想いなんですけどね、出来ることならオーストラリアにいられる間に、出来るだけ会っておきたいなって思って。その計画どおりには進んでいないところが残念なんですが。
まじめに英語勉強して、まじめにベビーシッターしている千夏さんにも、恋する暇があったのね。


実は自分探しの旅だったんです


でも延期して正解でした。この延期した2ヶ月ほどの間に、私、自分らしさが分かってきたような気がするんですよ。
自分らしさ?
そう。昨日もね、一人でマディグラ(ゲイのお祭り)見に行ったんだけど、今まで一人で出かけるのって苦手だったのに、淋しいなりに結構自由を楽しんでいる自分がいることを発見して。

そう、今気付いたけど、これが私がオーストラリアに来た理由なのかもしれないな。日本にいる頃は、私、他人に合わせていたんですよ。他人の目の色を伺いながら、他人が望むような人物になりきって、言ってみたら八方美人。Aさんと会う時には青色で、Bさんに会う時は赤色で、いつも人によって色を変えていたから、一体自分が何色なのかが分からなかった。それが、オーストラリアで過ごしてきて、やっと今、自分がもともと何色なのかが分かったような気がする。人に合わせてばかりいたから、本当の自分が分からなくて、だから本当の自分を探してきたい、っていうのが、私の潜在意識からの命令だったのかもしれないです。
なるほどね、それで日本を飛び出してきたんだ。ちゃんと原始感性の声を聴いて。
でも、どうして本当の自分が分かったの?
うーん、よく分からない。でも、ここ、つまり麻紀子さんのとこに来てからですよ、分かってきたのって。
それはどうしてなんだろう? アカンボの世話すると、自分のことが分かるようになるとか?
いや、それは関係ないと思う。たぶん、麻紀子さんとラースのせいだと思うな。
そうなんですか? なんだかよく分からないけど。
それにね、私、自分のことに自信持てるようになったんですよ。前までは「私は高卒だし、特技も資格もなんにもないし」って思ってて、だから他の人のこと、すごいなあって羨ましいなあって、すぐ思っちゃうところがあったんです。それが最近は、すごい人がいても「すごいね、がんばってね」って素直に思えるし、「私は私でコレが出来るし、コレだって得意だし、けっこう頑張ってるよね、あたし」って思えるようになった。
それはすごいことだね。よかったね。
実をいうと、私も最初千夏さんが来た頃「自己評価の低い人だなあ」って思ってたんだよね。頭もいいし、いろんな能力がある人なのに、そのことに自分で気づいてないみたいで、勿体ないなあって思ってた。ラースともよく話してたんだよ。「千夏はもう少し自分に自信もったら、楽になるだろうにね」って。「でも人を変えられるのは本人だけだよ。私たちには何も出来ない。ただ、サポートしてあげられたらいいね」ってね。
それが、すごく助けになったんだと思う。私は甘えん坊だから、完全に突き放されると萎えちゃってダメなんですけどね、でも反対に甘えさせてくれるとダレちゃってまたダメ。要するに適度なムチと適度なアメが必要という、厄介な人なんです。その距離の取り方が、麻紀子さんもラースもうまいんですよ。何をするにもまずやり方を教えてくれて「やってごらん」って突き放す。突き放していながらも「もしダメだったら手伝うから」って、いつもセイフティネットを張っておいてくれるんです。だから、ダメもとでも思い切ってトライすることが出来るんですよ。そんなことを繰り返しているうちに、自分に自信が付いてきたみたいです。

それに、よくラースが言ってくれたでしょ? 「何が正しいか?なんてのはないんだよ。正しいかどうかは主観、判断できるのは自分だけ。だから他人のいうことに翻弄されるな。って言ってるオレの意見だって、正しいかどうかなんて分かんないよ」って。それだけじゃないんだけど、ラースが言ってくれる言葉って、ガイジンだからなのかなあ、なんかこう、心にストレートに入ってくるんですよね。そういう小さなコメント、みんな覚えてます。いちいち、すごくうれしかった。

そうかあ、ラース、なかなかイイコト言うな(^^;)。

そういや、私の目から見ても、千夏さん、ずいぶん変わったと思うよ。ここに来た頃は緊張していたってのもあるだろうけど、なんかこう、他人の目を気にしている感じがしたし。どんどん自由に、そして強くなってるって感じするよ。特に、この2ヶ月くらいの成長ぶりは目を見張るものがありますね。・・・なんて僭越ですが。
そうですか? だったらうれしいけど。
きっと、日本に帰ったら昔の友達なんて、驚いちゃうかもしれないですね。
いいんじゃない? 驚かせておけば。自分が変わると友達も変わっていくものだし。
家族も驚くかなあ。父や兄はいつでも私を受け入れてくれると思うんだけど、母と姉とは一波乱あるかもしれませんね。
うん、あるかもね。でも、その波乱を乗り越えられるくらい、千夏さんはもう強くなってるから大丈夫だよ。きっと、おかあさんやおねえさんも分かってくれると思う。
そうかな。そうだといいな。


これからのこと


さて、日本に帰ったら、どうする予定?
それがまだ分からないんですけど。とりあえず、借金していたりするんで、お金稼がないといけないですね。バイト3つ掛け持ちは効率よくなかったから、今度は正社員になろうかな。今までとは違う業界で働いてみるのも面白いかも。
そんで、またお金貯めて、語学留学もしてみたいし、キャンピングツアーで知り合ったヨーロッパの友達を訪ねて一人旅もしてみたい。結婚もしたいけど、そしたら一人旅できないしなあ。あ、でももう、「お見合い」はしません(^^;)。
本当に長いこと、よくやってくれて、ありがとうね。千夏さんがいなかったら、私たちはサバイブ出来ませんでした。とっても感謝しています。

カレンとリサは残念ながら一代目おねえさんを覚えていてはくれないだろうけど、また時間とお金を作って、いつでも彼女たちに会いに来てください。これからの千夏さんの人生が、ハッピーでいっぱいになりますように!


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2001年3月6日:福島


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